2013年1月3日木曜日

三ツ塚古墳 リベンジ

ここは竹ノ内古墳の途中。
以前来た時は土砂崩れの影響で近付く事が出来なかった。
今日も相変わらず土砂崩れではあるが、何とか登る事が出来た。
ポシェットの様な革袋も見付かっているとの事。
南阪奈道路の建設に伴う調査により発見された古墳群です。
1999年に発掘され、横穴式石室15基、小石室14基、木棺墓、土壙墓各2基が見つかりました。
熊谷川沿いの平石峠越え街道と竹内街道が交差する谷の南斜面に築造されています。
風水思想の影響を受けた最古の古墳群と考えられています。
築造の期間は6世紀末~7世紀末ですが、9、10世紀の古墓も見つかっています。



春日若宮神社2

拝殿に古い神輿が無造作に置かれています。



春日若宮神社

竹ノ内峠に戻って来た。
この神社も前から気になっていた神社です。
地図には菅原神社となっています。
でも神社に上がると春日若宮神社となっています。



牧野古墳2



石棺の一部が何故かベンチになっています。

史跡 牧野古墳



前回行った、馬見丘陵公園の西、場所は広陵町。
牧野史跡公園がある。
牧野古墳を残す為に作られた公園。
この牧野古墳、かなり立派な古墳です。
三段に築造されている円墳で、直径55m、高さ13m。
石室は全長17.1m、玄室は長さ6.7m、幅3.3m、高さ4.5m、羨道は長さ10.7m、幅1.8m、高さ2.2m。
築造時期は6世紀後半から6世紀末。

一説には敏達天皇と皇后広姫の皇子、押坂彦人大兄皇子の墓ではないかと言われている。
この押坂彦人大兄皇子、ちょっと気の毒な皇子で、広姫皇后が早逝する事で王権が蘇我系に移行して行きます。
押坂彦人大兄皇子は窓際に追いやられ、天皇から遠ざかります。
蘇我物部合戦の際に物部氏が御輿に担いだという噂もあるが、その後、行方が分らなくなります。

史跡の丘 竹内古墳群



今年初の古墳詣でです。
前から気になっていた古墳群です。
竹の内峠の奈良側の葛城市にあります。
いつも通り過ぎていたが、今日は見学してみる事に。
1号墳から4号墳まであるが、石室等は露出していないので、普通の山です。
一応公園の様に整備をしています。

葛城市の説明では
竹内集落の北側、キトラ山を中心に前方後円墳1基、方墳1を含む34基の古墳群です。
多くは直径10m、高さ2m程度の円墳で、5世紀末から6世紀中頃にかけての築造と推定されます。県指定史跡です。
22号墳は全長45mの前方後円墳で、前方部に横穴式石室が残っています。また、34号墳である茶山古墳では、疑灰岩の板石を組み合わせた家形石棺が土中に直接埋葬されていました。
石棺内には3体分の人骨と鉄刀、鉄製のやじり等が発見され、棺外からは須恵器も出土しました。

2013年1月1日火曜日

初詣

氏神の一須賀神社へ初詣に行きました。
例に漏れずおみくじを引いた所、なんと第一番、大吉でした。