2012年4月30日月曜日

マンホールと飛び出し小僧

太子町のマンホールは17条憲法の代条「和を以て貴きと為せ」です。
飛び出し小僧は「太子君」です。
この飛び出し太子君、どうやら何世代かある様です。

今日の歩きはこんなもんです。
まあついでもあっての事なので1時間位です。



聖徳太子御廟内

この石室内の模型は明治時代の記録を元に作ったという話。
じゃあ想像なのか?
近つ飛鳥博物館内の模型も想像?
奥に間人皇后、左に膳菩岐々美郎女、右に太子である。
でも目の前に御廟があるのだから、条件付きでも良いから見せて欲しいと思うのは僕だけかな?


尼ヶ谷古墳

町道を作る際に発見されたらしいが、その時既に塚は大分削られていたらしい。
発見された時には古墳の形や大きさも定かではなくなっていたが20m位の円墳か方墳との事。
副葬品もかなり失われていたり、石棺も粉々だったとか。
ただ、年代は太子町の梅鉢御陵が出来る前のものだとかで、かなり興味深いものである。


松井塚古墳石棺

松井塚古墳は昭和33年に井戸掘りの際に発見されたとの事。
当時は推古天皇陵の倍塚では?と言われたらしい。
今は石棺のみが和みの広場に移設されている。



和みの広場

叡福寺と隣接した広場。
ここでは太子聖徳市も開かれており、ふれあい市の様な催しも行なわれている。
ここには近隣で発掘された古墳を移設されていたり、17条憲法の文面を書かれた石柱なんかも立っている。



春日西之宮?

春日西之宮跡地と言うのがある。
いつ来てもこんな感じで、良くも悪くもならない。
ここは昔の宮の跡なのか?と以前太子町役場に聞いた事がある。
すると答は、明確な事は分らないが、神社の跡地であろう、と言う事。
古い土壁の残骸も残っている。



謎のお墓

願蓮上人のお墓の向い。
石棺の蓋を土台にした古いお墓があります。
ここは叡福寺の墓域です。
おそらく叡福寺と縁の深い方のお墓だと思われます。
因みに去年訪れた時はそこそこ大きな木が生えてましたが、今は切られてます。
もしかして大きくなり過ぎて墓に悪影響を及ぼして来たのかも。



願蓮上人?

叡福寺から少し東へ行ったところ。
丘の途中に石塔の墓がある。
かなり古いものの様だが、やっぱり謎。



幼稚園も太子様

ここ太子町の幼稚園は、さすが太子町。
太子君が一杯です。



日蓮聖人の記念碑

何故ここに日蓮さんが?
といつも思っていた。
調べたところ、仏教に帰依した聖徳太子は仏教の大恩人、という事で、日蓮聖人が今まで勉強してきた事を太子に報告しに来たという事。
すると聖徳太子が現れて微笑んだというお話。



叡福寺山頂

御廟横から、裏山山頂へ登る。
途中古い石塔、お墓がある。
以前太子町役場の方に聞いて、被葬者の名前を聞いていたのだが、忘れてしまった。
この山頂は、太子が黒駒に乗って、空から発見した場所だとか。
そしてここを自分の墓の場所に決めたとか。



聖徳太子御廟

仏教に帰依した太子のお墓には鳥居がありません。
古墳は後ろの山ではなく、その手前の塚です。
何故か登り窯の様な造りです。



叡福寺2

金堂に多宝塔。
かつては五重塔が東西にあったと言います。

聖霊殿、太子堂とも言います。
ここは月に1度の太子の祭の時には中に上げて貰って参拝が可能です。
茶粥も振舞って貰えます。



叡福寺

数ヶ月ぶりに叡福寺へ。
昨日は駐車場が一杯で諦めたから、今日再び訪れる。
ここ叡福寺は聖徳太子の3太子の内、上ノ太子。



おじいさんの木

今日は昨日のリベンジで叡福寺へ再び。
今日は昨日と違って駐車場もガラガラ。
昨日は祭事があったのかも。

NPOおおさか?
よくは分らないが、古い木を守ろうとしている様だ。
これはこれで良いね。



2012年4月29日日曜日

青い鳥

道中、綺麗な鳥を見つけた。
青い鳥で、翼をパタパタさせながら、綺麗な声で鳴いていた。
何の鳥だろう?
安もんのデジカメで最ズームでとったので、カスカスです。



二子塚古墳2

石室には石棺の蓋が残っている。
そして、石室の下の方に大きな石があるが、これも石室の天井っぽい。
そかしこっちサイドにもう1つ石室があるかな?



二子塚古墳

推古天皇陵のすぐ向かい側、二子塚古墳がある。
ここへも数ヶ月ぶり。
田んぼ道を通りながら移動。
至る所で耕運機が動いている。
そろそろ田植えの季節。
二子塚古墳はもしや推古天皇陵では?と言われている古墳。
推古天皇は愛する息子、竹田皇子を天皇にしたかった。
しかしその前に亡くなってしまった為皇子と合葬する事に。
今の推古天皇陵の形より、二子塚の方が理屈にかなっている。
両方の塚に石室があったという事だが、どう発掘されたのかは良く分からない。