2012年4月7日土曜日

第六代孝安天皇玉手丘上陵

満願寺の裏山に当たります。
孝安天皇陵です。
最初の方の天皇陵は葛城周辺に集中しています。
邪馬台国畿内説で言えば、邪馬台国は纏向周辺で、葛城や橿原、桜井周辺は熊襲、日向から船で来て、熊野から上陸し大和に入った神武天皇、熊野から来たから熊襲。
邪馬台国と違い、熊襲は孤高の一族で他国とは交流を図らなかった。
それでも卑弥呼が亡くなってからは邪馬台国も徐々に力を失い大和王朝に吸収されて行く。
それが崇神天皇の頃。
それまでは大和朝廷は大和でも南の方のみであった。
とまあこんな感じです。



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