2012年5月31日木曜日

玉置神社3

あ、ここにも吹石一恵さんの柄杓が。
前に偶然道明寺で発見した。
でも道明寺は近鉄沿線で、お父さんが近鉄バッファローズの選手という事もあり納得してた。
しかしここでも見つけたという事は、他でもあるな。
これからは探しながら参拝しよう。
因みに一緒にある吹石泰隆さんは一恵さんの弟で、社会人野球のピッチャーです。
余談ですが僕は吹石一恵さんのファンです。



2012年5月30日水曜日

玉置神社2

駐車場から神社までは少し歩きます。
でも道中は気持ちが良く、全く苦痛にはならない。
途中石楠花や山つつじも咲いています。
途中、天然記念物の枕状溶岩体積地というのがある。
どうも崖の部分がそれらしいのだが、良く分からない。
そして山ノ神の神社。
そのまんまって感じです。
とりあえず参拝。
そしてこのマーク、○ッキーマウスっぽいです。



玉置神社

玉置神社の駐車場に到着。
道中、かなり上がった。
道も大分悪かったけど、問題なく上がれた。
天気も最高。



2012年5月29日火曜日

八大龍王姫松明神

玉置神社へ行く途中、前回も気になった社に参拝。
八大龍王姫松明神?三輪の八大龍王と関係あるのだろうか?
でも姫、という事は女龍という事かな?
滝壺の横に鎮座しているのも龍神っぽくて雰囲気があります。



谷瀬の吊橋

5月26日に十津川から玉置神社、熊野本宮大社、新宮城へ行く。
去年の災害以来初めて訪れる。
傷跡は想像を絶する。

国道168号線は去年の10月に開通したらしい。
最初吉野土木に電話する。
すると168号線は五条土木担当との事。
そして五条土木に電話すると、既に開通している事が分った。
インターネットとかでも分るが、やはり直接聞くのが確実。
吉野土木も五条土木もとても親切。
最後にはご迷惑をお掛けしていますと言われてしまった。
お宅のせいではないですよ、という気持ちです。

川や、道路の至る所に土石流の跡や、土砂ダムの跡が見受けられる。
道や橋も寸断されていたが、今まで何も無かった空中に道路が出来ていました。
日本の土木技術はすごいです。

いたるところで工事中です。
福島の復興もですが、今や土建業がまさにバブルの様です。

まずは谷瀬の吊橋へ。


2012年5月27日日曜日

垂水神社2

垂水の瀧。
ここには千里丘陵を流れて来る地下水が瀧となって沸いています。

マンション建築反対運動もしている様だが、もしかして山を削るのか?
信じられない。
神社の森ではないのか?
そりゃ反対するわな。
しかし神社の土地でなければしょうがないのでは?
山を削ったら瀧の水が涸れたりしないのかな?



垂水神社

垂水神社の本殿裏山には弥生時代の住居跡がある。
昭和48年に発掘され、竪穴式住居跡や掘立柱建物跡、焼土坑、甕棺墓等が確認されている。
典型的な高地性集落で、この地が、二千年前から人々が暮らす場所であった事が分る

この裏山、私の事務所から良く見えている。
最初は前方後円墳かと思っていたが、そうではないようで、最近西側、事務所からみたら後円部に見えていた部分が、削られだし、住宅が出来だした。
これだけの前方後円墳を削るわけがないので、前方後円墳ではない事が分る。
それで、気になり神社まで行き、この山から住居跡や墓が出た事を知る。
今回は2回目の訪問。

神社自体は、孝徳天皇の時代に、干ばつに苦しむ難波長柄豊碕宮に、懸け樋を作って垂水の水を送り、その功績をたたえられ、「垂水公」の姓を賜り、垂水神社を創始したという事。



金管日食と雉子畷

先週の話だが、5月21日、金管日食を見ようと、いつもより30分前に江坂に到着
江坂公園に7時半に着くと、辺りは若干薄暗く、今にも雨が降りそうな感じ。
ところが実は既に日食が始まっていて、その薄暗さだった。
それで空を見上げると眩しくて目がくらむ。
持参のサングラスをかけてみると、それでも目がくらむ。
やはり専用グラスでないと駄目だ。
それでもしっかり金管になっている事は確認できた。
ただし携帯カメラではまともに写せなかった。

その後まだ早いので近くの垂水神社へ。
道中雉子鳴き通りなる看板を発見。
これは何ぞや?と思いながら歩くと雉子畷の碑を発見。

時代は推古天皇の頃、淀川の長柄の渡しに橋をかける際、岩氏が人柱となった。
岩氏の美しいひとり娘そのショックで言葉を話せなくなった。
その後嫁いだ後も、一言も物を言わなかったので、実家に帰される事となり、夫とともにこの辺りにさしかかった時、雉子が鳴いて、夫がそれを射殺してしまった。
その時、女は悲しんで、「ものいわじ 父は長柄の橋柱 雉子も鳴かずば 射られざらまし」と詠んだという。

例のキジも鳴かずば撃たれまい、である。
以来、この辺りを「雉子畷」と言い伝えたという。



万葉館

この施設、最近無料になりました。
ここへは何度も訪れている。
ずっと同じ映画だが、気に入っていて、毎回見ています。

宮廷歌人、山部赤人が聖武天皇の行幸に同行し、玉津島の美しさを歌にし、天皇も同様に思ったというお話。

もう一つは里中満智子の漫画で、中大兄皇子と中臣鎌足が有間皇子を罠にはめ、謀反の疑いをかけ、藤白坂で殺してしまうというお話。

これで和歌の浦行脚はおしまいです。
書き上げるのに1週間かかりました。
今回の歩数は15778歩です。



片男波4

昭和15年に和歌山中学のボート部員8名が遭難したという事。
確か琵琶湖にもこんな話がありました。
悲しい出来事です。

この日は片男波で音画食祭(おんがくさい)をやっていた。
歌や踊り、屋台が出ていた。



片男波3

片方が海水浴場の砂浜で、反対側は干潟になり入り江です。
半島は端っこに行くほど狭くなりますが、先まで行けます。



片男波2

片男波の入り江の方、時間がくれば完全に干上がります。
干潟になります。
和歌山にも干潟になる浜は他にもあります。
因みに片男波の語源は山部赤人が歌に詠んだ「潟を無み」です。



片男波

片男波は海水浴場であると伴に万葉の地である。
不老橋から南へ伸びる半島。
というか天橋立の様。
それの西側が海水浴場の砂浜で、東側が入り江のようになっていて、干潟になります
そっちでは潮干狩りもやっているが、今はアサリ不足で休みです。
真ん中は公園になっていて、森になっています。
万葉の小道もあり、万葉の歌碑が至る所に立っています。
かつては鶴が降りたという事もあり、鶴のモニュメントもあります。



紀州天満宮4

やっぱり和歌山は南国です。
極楽鳥の花が咲きかけてます。
しかも地植えです。
外の地植えは大阪では考えられません。

それと摂社の社、これは漠ですかね?



紀州天満宮3

白藤龍大神がある。
しかし狛犬と狛狐が一緒にいる。
そもそも犬と狐は相性が良いのか?
というか狛犬は犬ではないけどね。
そしてこの社、龍神かと思いきや、お稲荷様の可能性もある。
定かではない。
ただ、お稲荷様はこの社の真後ろにもおられる。
不思議な神社。

ちょうど万葉館では有馬の皇子誅殺の映画をやっていて、海南の藤白で殺されています。
何だか藤白と白藤がかぶさります。



紀州天満宮2

境内におられる、白鳥大明神。
境内には沢山の摂社かと思われる社があります。
ここもその一つ。
因みにこの狛犬、めちゃめちゃ笑ってます。
この社横から山上へ登る遊歩道というか、登山口がありましたが、ここの山は少々高そうなので、時間と体力の関係で止めときます。



紀州天満宮

重要文化財です。
紀州東照宮に似た感じはあります。
しかし石段に一個一個の高さがこちらの方がはるかに高い。