2012年7月7日土曜日

塚穴古墳

河内長野にある古墳ですが、少々曰く因縁のある古墳です。

説明版には、こう書かれています。
「塚穴古墳は横穴式の石室を持つ古墳です。
しかし、この石室は古墳時代に造られたものが、そのまま残っているわけではありません。
昭和61年に市教育委員会によって行われた調査で、この石室が近世に壊され再度組み直されたものであることがわかりました。
石室の石材ををよく見るとその頃につけられた、石を割るためのクサビの痕を見ることができます。
平成8年には、同じく市教育委員会によって石室内部の詳しい調査が行われました。
石室内部に堆積していた土砂を取り除くと、床面に穴を掘って埋められている甕が4基見つかりました。
これらの甕のうち3基には人の火葬骨が納められていました。
内部に堆積していた土砂の中からは、五輪塔や宝篋印塔などの石造物が多く出土し、土器や陶磁器に混じって、永楽通宝や寛永通宝などの銅銭も出土しました。
石造物に刻まれていた年号と寛永通宝から、これらの遺物は江戸時代のものと考えられます。
これらの調査結果から塚穴古墳石室は江戸時代に組み直されたあと、内部を墓地として使っていたものと考えられます。
地元の伝承には大阪城築城の際に古墳の石材を運ぼうとしたところ、何らかの事情により元の場所に戻した、というものがあります。」

またこの古墳には怪奇現象があるとかで、大阪城の築城の時に、周辺の古墳の石や、お地蔵さんまで使って石垣にしたとの事。
その時、この古墳の石室の石を使おうと運び出した所、怪奇現象が起こって、あわてて元に戻し石室を作り直したという話。

古墳横にはお地蔵様があり、その裏には、もしかして古墳から出た?ものが放置されています。



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