2012年10月8日月曜日

大山寺4



大山寺本堂です。
意外とそれ程広くないのですね。
でも周辺全てが大山寺というイメージです。
この山は周辺に沢山の寺社がひしめいてます。
山中を縦横に山道があり、そこかしこに寺院があるのです。
そのまま山頂に続く道に繋がっています。
昔はかなり沢山の寺院があった様ですが、今はその殆どが寺院跡となっています。

ご本尊は地蔵菩薩です。
大山には沢山の地蔵がありますし、他の寺でもお地蔵様がご本尊という所は少なくないのです。
まあ地蔵も観音も同じ菩薩ですから同格ですね。

大山寺3



護摩堂
御本尊不動明王のもとで、天台密教の修法「護摩」をたきます。

灯明杉と灯明地蔵
日本海で船が難航した時、杉の木のてっぺんから閃光が出て、方向を示したとされる霊木「灯明杉」のそばにあります。

宝牛
牛の霊を慰めるために鼻ぐりの銅をもって鋳造し、岡山県岡山市の宗教団体「福田海」より寄進された像で、別名を撫牛ともいい、一つの願いだけを心に念じてこの牛を撫でると願いを叶えてもらえるという縁起のよい牛。

大山寺2



仁王門を入ると下山観音堂がある。
観音堂である筈なのだが、何故か狛狐が。
そしてかなりユーモラスなお顔。

大山寺



ついに念願の大山寺に到着。
博労座駐車場から歩いて10分から15分で来れた。
意外とすんなりと言うか、近かった。
途中登山客の人達も歩いていたが、途中で分かれて行き、大山寺へは殆ど誰も行かない。
多分参拝だとまだ早いのだろう。
仁王門を入ってからもお地蔵様がいたる所にある。
この手水舎、ちょっと変わってます。

以下は説明文書等を引用します。
古くから大山は山岳信仰の聖地として人々から崇敬されてきました。
さらに平安時代中期から地蔵信仰の地としても栄え、大山寺周辺の寺院は急速に力を付けていきます。
土地の寄進も盛んに行われ、鎌倉時代には寺院の総数が一時100を越え、僧兵3千人を擁する勢力を持つまでになりました。
仁安3年(1168)に高倉天皇即位後初の大嘗会の祭りの際に、費用の一部を大山寺にも割り当ててきました。
大山寺には「南光院」、「中門院」、「西明門」の三院がありました。
南光院は受け入れを示しましたが、他の二院はそれを拒絶しました。
そこで国衛の役人は大山寺に兵を差し向けてきたため、戦となり、国衛に味方する南光院と他の二院との間に合戦が始まり、大山寺の仏閣や僧房は、全て炎上してしまいます。
この時、美徳山三仏寺の法師が南光院に味方したため、二院の僧兵が報復のため美徳山に押し掛け本堂や講堂等を焼き払ってしまった事件など、山岳仏教寺院の衝突や寺院内部の紛争などが数多く見られます。
そのため、この時代は勢力争いによる火事も多く、古い文書や寺宝の殆どが焼失しています。
僧兵同士の戦いも次第に過熱していったという事です。

いざ大山寺へ



いざ大山寺へ。
気温は12℃、ちょっと肌寒い。
大山寺への参道には沢山のお地蔵様や石碑があります。
道中には旅館や郵便局、足湯もあったり、中々良い雰囲気です。
お地蔵や石碑には番号と説明が書かれてますが、かなり痛んでいて、文字がかすれています。

餓讖地蔵
天保8年、この年は天下の大飢饉で大塩平八郎が乱を起こした年であり、この前後の年も大飢饉で多くの人達が横死しました。
これを弔い、将来二度とこのような事がないように祈りをこめて天保12年に建立されたものです。

信濃坊源盛の碑
名和長年公の弟にして大山寺の別当であった源盛は、元弘3年、兄長年公が後醍醐帝を船上山に奉じた際、僧兵数十名をひきつれて長年公の義挙に加わり各地を転戦し、肥後八代で正平13年57歳で戦死されたが、後年その功により宮家御下賜金をもってこの碑が建立された。

2012年10月7日日曜日

博労座に到着

朝8時に博労座の駐車場に到着。
翌日の鳥取バーガーフェスタの準備で下の駐車場がつぶれている。
この時間でも結構車は停まっている。
でも殆どが登山の人の様だ。
まずは大山情報館でトイレと情報収集。
今日は念願の大山寺へ参拝。
ここへは墓参りの帰りに毎年来るが、妻子からの大反対で大山寺、大神山神社への参拝が出来ずにいた。
噂で相当歩かされると聞いたのが原因。
今年も8月に来ているが、結局参拝出来なかったので、今回、参拝の為だけに日帰りで訪れた。
勿論妻子は誘っても来ないので、暇人の友人と一緒に来た。
何年越しかの念願の大山寺参拝が今回やっと叶った。
かなり楽しみ。
ここからは弓ヶ浜が見え、右が日本海、左が中海、というのが良く分かります。



大山へ

昨日大山寺へ行って来ました。
妻や息子を誘いましたが断られたので、いつも一緒に歩く暇人の友人と行きました。
朝4時半に出ましたが、3連休の初日という事もあり、吹田の入り口はやはり混んでました。
それでも渋滞にはなっておらず、スムーズに走りました。
後30分遅く出ると完全はまってました。

米子道の溝口で下り、大山の枡水高原を望む。
この日は曇りでしたが、山容はくっきり見る事が出来た。
この溝口は日本最古とも言われる鬼伝説があります。
第七代孝霊天皇が鬼退治をしたという言い伝えがあります。

トイレも鬼、電話ボックスも微妙に鬼です。