2012年10月8日月曜日

大山寺



ついに念願の大山寺に到着。
博労座駐車場から歩いて10分から15分で来れた。
意外とすんなりと言うか、近かった。
途中登山客の人達も歩いていたが、途中で分かれて行き、大山寺へは殆ど誰も行かない。
多分参拝だとまだ早いのだろう。
仁王門を入ってからもお地蔵様がいたる所にある。
この手水舎、ちょっと変わってます。

以下は説明文書等を引用します。
古くから大山は山岳信仰の聖地として人々から崇敬されてきました。
さらに平安時代中期から地蔵信仰の地としても栄え、大山寺周辺の寺院は急速に力を付けていきます。
土地の寄進も盛んに行われ、鎌倉時代には寺院の総数が一時100を越え、僧兵3千人を擁する勢力を持つまでになりました。
仁安3年(1168)に高倉天皇即位後初の大嘗会の祭りの際に、費用の一部を大山寺にも割り当ててきました。
大山寺には「南光院」、「中門院」、「西明門」の三院がありました。
南光院は受け入れを示しましたが、他の二院はそれを拒絶しました。
そこで国衛の役人は大山寺に兵を差し向けてきたため、戦となり、国衛に味方する南光院と他の二院との間に合戦が始まり、大山寺の仏閣や僧房は、全て炎上してしまいます。
この時、美徳山三仏寺の法師が南光院に味方したため、二院の僧兵が報復のため美徳山に押し掛け本堂や講堂等を焼き払ってしまった事件など、山岳仏教寺院の衝突や寺院内部の紛争などが数多く見られます。
そのため、この時代は勢力争いによる火事も多く、古い文書や寺宝の殆どが焼失しています。
僧兵同士の戦いも次第に過熱していったという事です。

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