2012年6月16日土曜日

橘寺境内

橘寺です。
僕の好きな寺です。
太子建立七大寺の1つとされていて、太子が父用明天皇の別宮を寺に改めたのが始まりと伝わります。
第11代垂仁天皇の命により不老不死の薬を探しに田道間守が常世に旅立ちます。
しかし田道間守が戻った時には代垂仁天皇は既に亡くなっていた。
それを悲しんだ田道間守は持ち帰った橘の実をここと、垂仁天皇の陵に埋めたという事です。
この場合の常世は、色々言われてますが、田道間守の出身地の朝鮮半島の事だという説があります。
田道間守が常世で体験した話で、こんな逸話があります。
田道間守は子供が年寄りを叱っている所に出くわします。
何で子供が年寄りを叱っているのか不思議に思い、聞いてみると、叱っている子供の方が親で、叱られている年寄りの方が息子だと。
叱っている子供は橘の実を食べて、叱られている年寄りは食べなかったのだと。
それで田道間守は橘の実を持ち帰ります。
また田道間守はお菓子の神様としても祭られています。
この橘の実は古代の果物でそれがお菓子の原点だと言われています。
勿論ここ橘寺にも祭られています。
因みに代垂仁天皇陵は宝来山古墳とも言われていて、新宮の蓬莱山とかぶります。
新宮の蓬莱山は徐福が上陸した地で、秦の始皇帝の命令で日本に不老不死の薬を求めて来ました。
結局そのまま日本に居つくのだが、もしかしてこの徐福と田道間守が同一人物なのか?と疑ってしまいます。
そして蓬莱山の麓にある神社が阿須賀神社で、その辺を阿須賀の地とされています。
そして宝来山古墳の周辺には宝来という名の地名があります。
話は変わりますが、この馬の像、これが太子お気に入りの甲斐の黒駒です。

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