2012年11月6日火曜日

坂越

さあ、いよいよ本来の目的、大避神社へ。
坂越港へ移動。
ここは静かで、綺麗に整備されている。
すぐ側に生島が見える。
ひょっこりひょうたん島の様。
この辺は忠臣蔵はあまり関係なさそうだ。

話しは戻りますが、忠臣蔵で、こんな話しがあります。
吉良上野介は浅野内匠頭に再三の嫌がらせをしていたのではなく、浅野内匠頭は何の理由もなく吉良上野介に切りつけた。
乱心である。
しかし裁きは乱心ではない、とされた。
要するに訳あって切りつけたと。
もしただの乱心なら、赤穂浪士も仇討ちの必要はなかった。
しかし、訳あって切りつけたとなると話は別である。
四十七士は主君の無念を晴らす為に、忠義の為に、吉良を討たねばならない。
当時の将軍は五代将軍綱吉公。
取り調べた目付達が「浅野は乱心の様だ」と報告しても、正気のものとして裁いたのは綱吉。
要するにかなり怒ってたのでしょう。
そもそも乱心であろうが、喧嘩であろうが、遺恨があろうとなかろうと殿中で刀を抜けばそれだけで切腹は免れないのです。
浅野内匠頭は室内ではなく、庭で切腹させられたのです。
そして吉良上野介は大川の向こうへ追いやられてしまった。
まるで、討つなら討てと言わんばかりである。
浅野も不幸、吉良も不幸、四十七士も不幸である。
誰も浮ばれません。
というお話しです。
芝居やドラマが有名で、それが真実と思っているが、本当の真実は分りません。



0 件のコメント:

コメントを投稿