2012年11月4日日曜日

赤穂城址5



至る所に山鹿素行の説明版や銅像があります。
僕はそもそも忠臣蔵の事もドラマで見る程度以上には分っていず、ましてや山鹿素行も今回初めて知った名前です。

山鹿素行は、江戸時代前期の日本の儒学者、軍学者。
山鹿流兵法及び古学派の祖である。
陸奥国会津にて浪人・山鹿貞以の子として生まれる。
寛永5年に6歳で江戸に出る。
寛永7年、9歳の時大学頭を務めていた林羅山の門下に入り朱子学を学び、15歳からは小幡景憲、北条氏長の下で軍学を、廣田坦斎らに神道を、それ以外にも歌学など様々な学問を学んだ。
朱子学を批判したことから播磨国赤穂藩へお預けの身となり、そこで赤穂藩士の教育を行う。
赤穂藩国家老の大石良雄も門弟の一人であり、良雄が活躍した元禄赤穂事件以後、山鹿流には「実戦的な軍学」という評判が立つことになる。

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