2012年11月18日日曜日

二上山 大津皇子陵



二上山山頂の大津皇子陵に到着。
普段とは違うコースをとったので、香芝側から雄岳山頂に到着。
大津皇子陵横からの登頂になる。

大津皇子は悲劇の皇子と言われている。
本来ならこの皇子が皇位を継ぐ筈であったが、母君の大田皇女が早くに亡くなり、肩身の狭い思いをしてしまう。
姉の大来皇女は斎宮として伊勢に送られてしまう。
斎宮になれば、いくら弟と言えども滅多な事では会う事も叶わない。
こうして大津皇子は更に孤立してしまう。
父君の天武天皇も吉野隠遁から壬申の乱を共に戦い抜いた妻、鸕野讚良皇女に遠慮してしまう。

大田皇女の同母妹・鸕野讚良皇女が大海人皇子の正妃となった為、皇子の草壁皇子が皇太子になる。
と言うか鸕野讚良皇女の執念である。
天武天皇が崩御し、持統天皇が即位すると大津皇子は更に窓際に追いやられる。
そうした日頃の鬱憤が愚痴となって口を出る。
その言葉を拾い、そそのかし、持統天皇に楯突いた、謀反の疑いあり、となり、大津皇子は殺されてしまう。
それでも大津皇子の祟りを怖れ、二上山雄岳の山頂に皇子を葬る。
その時、姉の大来皇女が詠った歌は余りにも有名である。
「うつそみの人にあるわれや明日よりは 二上山を弟背(いろせ)とわが見む」
明日からは二上山を我が弟を見よう、という事である。

二上山は大和から見ると日が沈む山で、あの世に通じる山と見られてたふしがある。
そんな事もあって、二上山に葬られたのかも知れない。

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