二上山山頂の大津皇子陵に到着。
普段とは違うコースをとったので、香芝側から雄岳山頂に到着。
大津皇子陵横からの登頂になる。
大津皇子は悲劇の皇子と言われている。
本来ならこの皇子が皇位を継ぐ筈であったが、母君の大田皇女が早くに亡くなり、肩 身の狭い思いをしてしまう。
姉の大来皇女は斎宮として伊勢に送られてしまう。
斎宮になれば、いくら弟と言えども滅多な事では会う事も叶わない。
こうして大津皇子は更に孤立してしまう。
父君の天武天皇も吉野隠遁から壬申の乱を共に戦い抜いた妻、鸕野讚良皇女に遠慮し てしまう。
大田皇女の同母妹・鸕野讚良皇女が大海人皇子の正妃となった為、皇子の草壁皇子が 皇太子になる。
と言うか鸕野讚良皇女の執念である。
天武天皇が崩御し、持統天皇が即位すると大津皇子は更に窓際に追いやられる。
そうした日頃の鬱憤が愚痴となって口を出る。
その言葉を拾い、そそのかし、持統天皇に楯突いた、謀反の疑いあり、となり、大津 皇子は殺されてしまう。
それでも大津皇子の祟りを怖れ、二上山雄岳の山頂に皇子を葬る。
その時、姉の大来皇女が詠った歌は余りにも有名である。
「うつそみの人にあるわれや明日よりは 二上山を弟背(いろせ)とわが見む」
明日からは二上山を我が弟を見よう、という事である。
二上山は大和から見ると日が沈む山で、あの世に通じる山と見られてたふしがある。
そんな事もあって、二上山に葬られたのかも知れない。
普段とは違うコースをとったので、香芝側から雄岳山頂に到着。
大津皇子陵横からの登頂になる。
大津皇子は悲劇の皇子と言われている。
本来ならこの皇子が皇位を継ぐ筈であったが、母君の大田皇女が早くに亡くなり、肩
姉の大来皇女は斎宮として伊勢に送られてしまう。
斎宮になれば、いくら弟と言えども滅多な事では会う事も叶わない。
こうして大津皇子は更に孤立してしまう。
父君の天武天皇も吉野隠遁から壬申の乱を共に戦い抜いた妻、鸕野讚良皇女に遠慮し
大田皇女の同母妹・鸕野讚良皇女が大海人皇子の正妃となった為、皇子の草壁皇子が
と言うか鸕野讚良皇女の執念である。
天武天皇が崩御し、持統天皇が即位すると大津皇子は更に窓際に追いやられる。
そうした日頃の鬱憤が愚痴となって口を出る。
その言葉を拾い、そそのかし、持統天皇に楯突いた、謀反の疑いあり、となり、大津
それでも大津皇子の祟りを怖れ、二上山雄岳の山頂に皇子を葬る。
その時、姉の大来皇女が詠った歌は余りにも有名である。
「うつそみの人にあるわれや明日よりは 二上山を弟背(いろせ)とわが見む」
明日からは二上山を我が弟を見よう、という事である。
二上山は大和から見ると日が沈む山で、あの世に通じる山と見られてたふしがある。
そんな事もあって、二上山に葬られたのかも知れない。
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