2012年8月30日木曜日

坂合黒彦皇子陵2



允恭天皇の皇子で、雄略天皇に抹殺されます。
雄略天皇は皇位を継承する為に兄弟、従兄弟を次々に罠にはめて殺してしまいます。
この当時、皇子は沢山いたので、坂合黒彦皇子の事は良く分かりません。
それに何でこの場所なのだろう?
そして何故地図にこの墓は記されてないのだろう?
それだけの扱いの皇子という事なのだろうか?
それとも何か意味があるのかな?

坂合黒彦皇子陵



いつもここの横は通っているが、初めて参拝する。
それにここに皇子の墓があるのに気付いたのは1年位前。
20年位前から何回も横を通ってるのにね。
気になったら確かめずにはいられないので参ってみた。
坂合黒彦皇子墓とある。
允恭天皇の皇子である。
でもカーナビにもパソコンの地図にも存在しない。
何で?
なので、実際にそばまで行って確認しないと分らなかった。

葛上神社



ここもいつも横を通っていて、前から気になっていた神社。
歴史は古そうである。
入口は雰囲気あるでしょ。

大名持神社2



この神社、実は意外と立派です。
ちょっと驚きました。

そしてこの裏山は天然記念物で入山禁止です。
妹山樹叢と言い、全山照葉樹の原生林に覆われていて、珍しい暖地性植物が群落を形成し、西日本の特殊暖帯林として珍重されています。

大名持神社



いつもこの横は車で走っているのだが、今回初めて参拝しました。
前から気になっていたのです。
大名持?ああ、オオナムチって事?

伊勢湾台風の時はここまで水が来たって事?
吉野川が氾濫したのか?
今は上流のダムがあるからそんな事はないのかな?
でも大滝ダムは例の水が溜まらないダムだからやっぱり駄目かな?

蜻蛉の滝4



ここには幾つかの社や祠が祀られています。
弁財天に不動堂、竜神様。
水や滝に縁の深い神仏達です。
昔から滝信仰が深かったのですね。

ところで、この滝、見るポイントが沢山あって、滝好きにはお勧めです。
でも安もんのデジカメでは駄目です。
常に薄暗く、小さな水飛沫が飛んでいるので、画像がガサガサになります。

蜻蛉の滝3



第21代雄略天皇がこの地を狩に訪れた時の事、天皇の臂(ひじ)に虻(あぶ)が食いついたのをどこからともなく来た蜻蛉(とんぼ)が噛み殺したと言う伝説からついた滝
この為、この地を蜻蛉野(あきつの)と呼び、現在あきつの小野と呼ばれています。
高さ約50メートル。
飛沫は太陽に映じて常に虹を作っていることから、この付近は一名虹光(にじっこう)と言われている。

この滝は滝つぼが数個あり、一目では全てを見る事が出来ません。
滝の上からと、途中に橋を掛け、滝の中央部の正面から見る様になっています。

以前、滝壺から見ようと、海パンをはいて、この川を遡り、滝壺まで行った事があります。
しかし真正面までは行けませんでした。
正面近くまで行くと、足が届かなくなり、周りも薄暗く、恐くなり諦めました。
河童でも出てきそうな雰囲気でした。

蜻蛉の滝2



滝への入口に石仏と岩に梵字が彫られている。
仙龍寺跡と梵字岩。
蜻蛉の滝で修行した修験道の行人が開いたとされる仙龍寺跡である。
そして梵字は「あ」の字。
意味は大日如来だと言う。

蜻蛉の滝



吉野から川上村へ。
ここはちょっとした公園になっている。
滝から下は小川になっていて、子供達が泳いでいる。
ここは安心して子供を遊ばせられるのです。
この川にはハヤが沢山泳いでいて、竿を垂らせば入れ食いです。
ただ、子供が遊んでいるので、夏場はお勧め出来ない。
それにハヤは余り美味くないので、釣ったらリリースです。
僕達はハヤの事をクソバエと呼んでいます。

駐車場に謎の神様が祀られています。
熊鷹大明神?右側には「?持彦」?
読めない。

2012年8月26日日曜日

吉野宮滝遺跡2



吉野川は遊泳場にもなっています。
緩やかで浜?のある地域ではテントを張ったり、子供達は浮き輪で遊べます。
一転、この宮滝は岩場で、かなり深めです。
岩の上から飛び込みなんかもします。
たまに死人が出る事もあります。
この前来た時はなかった金網が橋の上に張られてます。

吉野宮滝遺跡



縄文、弥生、飛鳥、奈良時代と遺跡のあった地。
吉野は熊野や、伊勢、紀伊、大和の交通の要衝である。
吉野は神武天皇が東征の際、協力を得た地。
大海人皇子や奥方の鸕野讚良皇女もこの吉野に隠遁した。
後醍醐天皇も源義経や弁慶もこの吉野に隠れる。
吉野山からはその気になれば、大峰山系へ逃げる事も出来る。
また吉野の豪族国栖族は良く天皇家を救ってくれた。

またここは神仙郷とも言われ、吉野川の水は不老長寿の薬とも言われた事があります
持統天皇も、皇子の草壁皇子が身体が弱く、良くこの吉野に行幸をした。
草壁皇子が亡くなった後は、孫皇子の文武天皇に期待するが、この孫皇子も身体が弱かった。
持統天皇は事ある毎に吉野に行幸したらしい。

巨勢寺塔跡2

塔跡には心礎が一つ露出している。
五重塔があったと言われている。
現在は大日堂と呼ばれる小さな堂がある。

巨勢寺は聖徳太子の創建とも伝えられるが、詳しい創建時期と理由は不明。
出土した瓦は、飛鳥時代後期のものとみられ、今の御所市古瀬付近を本拠地とした古代の豪族巨勢氏の氏寺として大伽藍の寺院が創建されたと考えられている。
日本書紀にも寺名が見られる。



巨勢寺塔跡

今日は前から気になっていた巨勢寺塔跡へ。
ここはいつも横は通るのだが、なかなか来れなかった所です。
ここは丁度JRと近鉄の線路が平行に走り、その真ん中にあたります。
国道からは見えてるのですが、行き着くのはちょっと分り難いのです。



2012年8月25日土曜日

身方塚リベンジ



前回来た時は発見出来なかったので、改めて来ました。
墓地の寄手塚の反対端にありました。
寄手塚よりは少し小さい。

御旅所北古墳リベンジ



前回ここに来た時は発見出来なかった。
おそらく車かなんかの影になっていたのでしょうね。
また来て良かったです。
石棺があります。
どうやら大きな石棺と小さな石棺が縦に並んでる様です。
でも円墳であるとか、周溝があったとかの面影はありません。

ここは建水分神社の御旅所であったとか。
今では秋祭の際に河内にわかが奉納されている。

飛び出し正成君

前回発見した飛び出し正成君だが、殆ど設置されていない。
なので、今回改めて写真を撮って来ました。

でもNHKの大河ドラマでは武田鉄矢氏だったのですが、イメージが・・・

ラジオ体操生収録

今日は朝から地元でNHKラジオ体操の生収録です。
朝6時から近所のグランドへ。
何十年ぶりかでラジオ体操。
50肩が痛かったが、まあ良かったです。
粗品も一杯貰いました。

因みに河南町のマンホールは百合と桜です。

嫁は家でラジオを聞いていたのですが、グランドからのスピーカーとラジオで音声多重だったとか。



2012年8月19日日曜日

三ツ塚古墳群


今日の最後は竹之内街道奈良側の三ツ塚古墳群。
ここは前からずっと気になっていた所。
いつも直ぐ近くは通っていたのだが、来た事がなかったので訪れる。
しかし土砂崩れでどうしても近付けない。
残念。
きっとまた来ます。
今日はここまでです。