2012年8月12日日曜日

大田皇女陵



斉明天皇陵のすぐ下、大田皇女の陵があります。
大田皇女は斉明天皇の長男、中大兄皇子、天智天皇の皇女、斉明天皇の孫である。
大田皇女はあの大津皇子の母親で、持統天皇の姉である。
本来なら大田皇女が天武天皇の正妃であり、大津皇子が皇太子であってもおかしくなかったのだが、如何せん大田皇女は身体が弱く、おとなしい人でした。
そして若くして亡くなってしまいます。
持統天皇は自分の皇子、草壁皇子を皇太子にしたかった。
大津皇子は徐々に阻害されていく我が身をのろい、日々愚痴をこぼし、自棄酒を飲み、反持統天皇の人間達が自然と回りに集う様になる。
その連中と毎夜宴会を催し、結果謀反の疑いをかけられる様になってしまう。
これが悲劇の皇子の由縁である。

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