2012年8月12日日曜日

皇極・斉明天皇陵



光雲寺の裏山からかき分けかき分けやっと辿り着く。
斉明天皇陵の裏。
ここへは前から訪れてみたかった。
いつも直ぐそばは通るのだが、中々チャンスがなかったのだ。

斉明天皇陵には、斉明天皇と娘の間人皇女を合葬し、中大兄皇子の娘、孫の大田皇女を陵の前の墓に葬った。
ところが、同じ日もう一人合葬された皇子がいる。
中大兄皇子と遠智娘の間に生まれた建王である。
斉明天皇から見れば孫にあたる皇子。
建王は、生まれつき口がきけないという障害を持っていた為、建王への愛情はひとしお深かった。
しかし皇子は8歳という若さで黄泉の国へ旅立ってしまう。
女帝は慟哭し別れを惜しみ、群臣たちに対して、「吾が死んだら、死後は二人を必ず合葬するように」と遺言している。

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