2012年12月27日木曜日

讃岐神社2



延喜式神名帳に記された神社と考えられ、現在は大物忌命・倉稲魂命・猿田彦命・大国魂命を祭るが、『日本三大実録』元慶七年(883)の散吉大建神・散吉伊能城神に従五位下を授ける記事は当社に関する可能性が大きい。
『神名帳考証』には讃岐国と関係が深い祭神である景行天皇の皇子五十香足彦命を祭ると記される。
竹取物語の舞台が讃岐神社周辺であるとされている。
かぐや姫に求婚する五人の貴公子の名は壬申の乱(672)で活躍した実在の人物であり、かぐや姫の館に求婚のために通った記事から、竹取物語の舞台は大和国広瀬郡散吉郷(現広陵町三吉)であるとされている。
讃岐の一族が大和朝廷に仕えるため、竹の豊富なこの地に移りすみ、竹取物語が生まれたと考えられる。.

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